昭和45年11月21日 夜の御理解
今日、午後の奉仕をさせて頂いております時に、末永さんが来月のおかげの泉の原稿になりますそれをここのところを頂きたいと思うから、ひとつ目を通してくれというてもってきましたから、読ませて頂きましたら、おそらくその時に私が言うておることです。
今日の御理解が、の中に言うておることが、来月の信心の焦点になることであろうと言う御理解でした。いわゆる御理解という、御神訓を元にしないで、経典の中にもただこう言う御教えはないと言うてお話ししておる御教えです。
信心を進めていくと言うか、信心を高めていくということ。信心をいよいよ進めていく心得として、御礼のために精進すると言う御理解でした。
ね、御礼のためにお参りもする、御礼のために奉仕もする、御礼のために改まりもする。それを最後の所に三代金光様の御晩年のあの御述懐のお言葉を例に引いてからの御理解でございましたですね。あれほどの御修行を下さっておられておられる金光様がいつも願い以上のおかげを頂いてお礼ばっかりを申しておりますと、しかもそのお礼の足りないことのお詫びをいたしておりますというお言葉ですね。
お礼の精進のあれほどの厳しい修行をさせて頂いておられながら、それでなおかつ足りないことのお詫びをしておるというもう徹底を信心、そこにはあのような高度な、最高度な信心があそこに現れたと私は思うのですけれど。
今日も田中さんがちょうど十年前に大病を患われて、もう命もあやばまれるほどしの大病でしたが、おかげを頂かれてちょうど今日が十年、そこでその御礼のお祭りとまではいかんでも神様に私どもの思いを取りつかねて御礼を申し上げてくれということでございましたから、それこそみけ神酒鏡餅の中に田中さんの御礼心をこめてのま、いわば今日御礼と言うことになった。いうならばお礼はいつも申しあげておるけれども、改まってお礼を申し上げると言うわけで今日は御祈念を少し早めましてね、御祈念に合わせてお礼を申させて頂いたわけです。
私どもはね、その御理解の中にもありますようにおかげを受けた、お礼参りをした、お礼のお供えをした、それで済んだようなことではなくて、その例えば命をあの時に頂いたと実感する、その実感が日々の精進であり、しかもそれがお礼に現れ、改まりに現れてそれにしてもなおかつお詫びばかりをしておりますと言ったような謙虚な生活が信心生活がそこからなされるということが信心をいよいよ高度なものにしていく、いよいよ深い広いものにしていく、いわば信心の心得だと頂いておりますよね。ただ今お礼にかからせて頂こうとするときに、ここで親子四人でここへお礼に出てまいりましてから、改めてお礼お届がありよった。まだこまかつが来てから自分も一緒に頭をこうやってあげた途端に
ここんところにがくっち音んするごと、ここで打っとりますと。こぶんでくるごと打っとります。私は泣くじゃろうと思いよったら、その頭を打ってこう上げたのと、ここん電気がついたのが一緒でした。だからこう上げた時に電気がパッと付いたもんじゃから、電気ん付いたつがうれしいごた風で、その泣きよるやら笑いよるやら分からんようしてから、手に口をこう当てて笑うとですよね。
私はそれを見てから思いました。ほんとにとにかくあいったちゅうごたあるおかげを頂く、間髪をいれずにね、パッと電気のつくようなおかげを頂かなければやっぱ泣きになってしまいますよ。人間ちゅうもんは、そこんところに日頃の精進がいるとですよ。
こんどの幹三郎のことでもそうです。どういうような時に直面しても、もうその瞬間瞬間に火のつくような痛い思いをするような時にもですたいね、それこそ目から火の出るような思いをするような時でも、同時にパッと電気が付きよりますもん。
だから、ま、泣き笑いになってくるような有難いね、そのおかげになってくるようなもので、ま、ほんとに痛かったろうと思いましたけれども、やっぱ神ながらだったろうと思います。ね、そういうおかげを日々頂いていくから有難い勿体無い、そりゃ痛いこともある。けれども有難いということになってくるのじゃないでしょうかね。
私はもう改めて、改めてお礼を申し上げると言うことがいかに大事なことかというようなことを感じますですね。どうぞ。